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広島地方裁判所 昭和47年(ワ)925号 判決

原告 株式会社広宣社 ほか一名

被告 国

代理人 神田昭二 笹村將文 長沢文雄 ほか七名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告株式会社広宣社に対し金三〇四八万三二四六円、原告吉田観光開発株式会社に対し金一七五六万一五〇〇円及び右各金員に対する昭和四七年一二月二六日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文一、二項と同旨

2  仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告株式会社広宣社(以下、原告広宣社という)は、広島県高田郡吉田町字内堀(以下、内堀地区という)に、別紙物件目録記載の建物(昭和四六年四月二八日建築、以下本件ボーリング場という)を所有しているもの、同吉田観光開発株式会社(以下、原告吉田観光開発という)は、昭和四七年四月二八日、原告広宣社から本件ボーリング場を賃借し、同日以降、これを使用してボーリング場を経営しているものである。

被告は、一級河川江の川(吉田町周辺においては通称可愛川)の管理者である。

2  本件ボーリング場は、国道五四号線に面し、背後に江の川を控えて位置しているが、昭和四七年七月一一日の降雨に際し本件ボーリング場の北方で江の川の左岸堤防の一部が不連続となり開放されている部分(以下、本件開口部という)から河水が逆流して内堀地区に氾濫し、本件ボーリング場も床上浸水の被害を受けた(以下、本件浸水という)。

3  本件浸水の結果、原告らはそれぞれ次のとおり損害を被つた。

(一) 原告広宣社の損害

(1) その所有に係る左記物品の破損滅失による損害

イ ボーリング用品、事務用品及び印刷物 八八万七四九六円

ロ レーンメンテ用機械及び設備     九九万三七〇〇円

ハ ボーリング場付帯設備及び用品     七万六〇〇〇円

小計    一九五万七一九六円

(2) 本件ボーリング場補修費として左記の金員を支出したことによる損害

イ 建物及び設備補修費        一二五万六二〇〇円

ロ 復旧工事に伴う臨時人件費     一二〇万円

ハ ボーリング場レーン補修費     二五六〇万円

ニ 雑費                四六万九八五〇円

小計   二八五二万六〇五〇円

以上合計   三〇四八万三二四六円

(二) 原告吉田観光開発の損害

本件ボーリング場の補修のため、昭和四七年七月一二日から同年九月五日までの期間を要し、その間営業不能となつたことによる損害

(1) 昭和四七年七月一二日から同年八月一一日まで(一日につき一、一〇〇ゲーム、一ゲームにつき二六五円として算出) 九〇三万六五〇〇円

(2) 同年八月一二日から同月二〇日まで(この期間は盆興業を行い得る時期であるので、一日につき一、五〇〇ゲーム、一ゲームにつき二八六円として算出) 三八六万一〇〇〇円

(3) 同年八月二一日から同年九月五日まで(算出方法は(1)に同じ) 四六六万四〇〇〇円

以上合計 一七五六万一五〇〇円

(なお、右各金額は、昭和四七年五月一日から同年六月三〇日までの売上げ実績一六五一万六四三五円を基礎としたものである。)

4  原告らの上記損害は、被告の次のような河川管理上の瑕疵によつて生じたものである。

(一) 被告は内堀地区及びその周辺において江の川に堤防を築造しながら、本件開口部において堤防を不連続とし、開放したままの状態で放置した。このような不連続部分を残すことについては何ら合理的な理由はないし、右部分を残すことにより江の川の河水が逆流して内堀地区に浸水被害を生ぜしめることは容易に予測できたのに、被告は適切な措置をとらず敢て不連続のまま放置していたのであるから、本件開口部を設けた(不連続部分を残した)ことは、河川管理上の瑕疵にあたる。

(二) 仮に内堀地区内の灌漑用水・雨水等を江の川に排出する必要上、堤防を不連続としたものであるとしても、右のとおり江の川からの逆流が容易に予測される以上、被告としては右逆流を防止するため、本件開口部に樋門を設け、内堀地区からの排水のためには排水ポンプを設置し、本件のような降雨による増水時には、右樋門を閉鎖し排水ポンプを作動させることにより、同地区の浸水被害の発生を防止すべきであつた。

現に、内堀地区は従来も本件開口部からの溢水によりしばしば被害を受けてきたため、地元吉田町においては、本件水害以前に数度にわたり、建設省三次工事事務所に対し、本件開口部に水門・揚排水ポンプ場等を設置するよう陳情してきたし、本件開口部対岸の同町柳原地区においては、既に水門、揚排水ポンプ場等を設置しており、本件降雨に際しても、同地区では右水門を閉鎖していたため、特段の被害を生じることはなかつた。

ところが、被告は本件開口部において、これらの施設を設けることなく放置していたため、江の川の河水が逆流して本件被害を生ぜしめたのであるから、この点においても、被告の河川管理には瑕疵があつたというべきである。

(三) また、被告にはもともと右のような施設を設ける意図はなく、江の川の増水の際には本件開口部から河水を内堀地区に導流し、これによつて下流における水位を下げ、もつて下流の洪水被害を防止・軽減しようとしたとも考えられる。この場合、本件開口部はいわゆる霞堤もしくはこれと同様の目的・機能を有するものであるから、被告としては、右導流による溢水の被害を極力防止するため、溢水予定地域に必要規模の遊水池を設けるべきであつて、その設置を怠つた点に河川管理上の瑕疵がある。

(四) さらにまた、本件開口部が右のような機能を有するものである以上、被告としては、溢水が予定されている内堀地区の住民や、同地区に家屋等を建築しようとする者一般に対し、その事実を告げて浸水の危険を警告すべきであつたし、少なくとも広島県が原告広宣社に対する本件ボーリング場の建築確認を行うにあたり、被告は広島県をして同様の注意・指導を与えさせるべきであつた。もしこのような警告や注意・指導がなされていれば、原告広宣社は本件ボーリング場の建設に際し、基礎を高くするなど、浸水被害を未然に防止する手段をとり得たのであり、被告が右警告・注意等を怠つた点にも、河川管理上の瑕疵があつたというべきである。

5  よつて、原告らは被告に対し、国家賠償法二条一項に基づき、原告広宣社につき三〇四八万三二四六円、同吉田観光開発につき一七五六万一五〇〇円及びこれらに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四七年一二月二六日から各完済に至るまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1の事実のうち、吉田町内堀地区に本件ボーリング場が存在すること及び被告が一級河川江の川の管理者であることは認め、その余は知らない。

2  同2の事実中、本件ボーリング場が内堀地区の国道五四号線に沿つて存在し、近くに江の川が流れていること、本件ボーリング場の北方に、江の川左岸堤防が一部不連続となつている部分(本件開口部)が存在すること、昭和四七年七月一一日の豪雨により内堀地区一帯が湛水し、本件ボーリング場にも浸水したことは認める。

なお、本件ボーリング場と江の川及び本件開口部等の位置関係の概略は、別紙図面(一)のとおりである。

右浸水の原因が専ら江の川の河水の逆流にあるとする点は争う。内堀地区は、右図面に示すとおり、江の川とその支川である一級河川多治比川に囲まれ、地区内に普通河川貴船川が存するが、本件浸水は、貴船川流域の降雨による大量の水(内水)と、多治比川の改修中の堤防から溢れ出た河水(溢水)及び本件開口部から逆流した江の川の河水(背水)とが合体して、内堀地区に湛水した結果生じたものである。

3  同3の事実はすべて知らない。

4  同4(一)のうち、被告が築堤にあたり本件開口部を設けたことは認めるが、そのことを被告の河川管理上の瑕疵とする主張は争う。

本件開口部を設けたのは、後記被告の主張2において詳述するとおり、適切かつ合理的な理由に基づくものである。

5  同4(二)のうち、本件開口部に樋門及び排水ポンプを設置していないことは認めるが、そのことをもつて河川管理上の瑕疵とする主張は争う。

これらを設置しない理由も、後記被告の主張2及び3において説明するとおりである。

なお、昭和四七年六月下旬頃、吉田町長から建設省三次工事事務所に対し、本件開口部に水門及び排水ポンプを設置してほしい旨の陳情があつたことは認めるが、右は、昭和四九年頃に吉田町内堀地区に完成する見込みの工業団地の造成に合わせて、その設置方を希望するというものであつた。また、対岸の柳原地区に排水樋門及び揚水ポンプが存在することは認めるが、前者は同地区が窪地のため灌漑用水の排出の必要上設けられたもの、後者は灌漑用水の汲み上げのために設けられたものであつて、いずれも治水施設ではなく、その設置者も地元農業団体であつて被告ではない。なお、本件水害時には同地区にも浸水被害を生じており、これらの設備のため被害を免れたとの原告らの主張は事実に反する。

6  同4(三)の主張は争う。

本件開口部はいわゆる霞堤ではないし、それと同様の目的・機能を有するものでもない。霞堤とは、上流側堤防の下流端を開放し、下流側堤防の上流端を堤内に延長して一部重複するように築造した不連続堤を指称し、増水した河水の一部を一時両堤の間隙から堤内に導入し、下流の流量を低減して洪水被害の軽減をはかるものであり、特に急流河川の治水工事上とられる工法である。これに対し、本件開口部は、前記貴船川が江の川に流入する下流端にあたり、後にも述べるとおり、貴船川の排水の効用を維持するため、かつ、多治比川(当時堤防改修工事を続行中)が氾濫した場合すみやかに江の川に排水する必要があるため、この部分を残して築堤したものであつて、原告ら主張のような目的で本件開口部を設けたものではない。したがつて、遊水池を設けるべきであるとの主張もあたらない。

7  同4(四)のうち、被告が原告ら主張のような一般的な警告をせず、本件ボーリング場の建築確認に際しその主張のような注意等をしなかつた(広島県にその旨指示しなかつた)ことは認めるが、その余の主張は争う。

もともと、内堀地区は河川計画上の溢水予定地域ではなく、河川法に基づく規則の対象地ではないから、被告の河川管理上の権限の及ぶ範囲外である。一方、本件開口部の存在は現地を見れば明らかであり、過去の洪水の状況、本件ボーリング場敷地の地盤の高さなども容易に知り得るのであるから、原告広宣社自らこれらの諸条件を十分に考慮して、本件ボーリング場の建築に着手すべきものであつた。かかる配慮を怠りながら、被告の警告、注意等がなかつたことをもつて河川管理上の瑕疵とする原告らの主張は失当である。

三  被告の主張

1  江の川改修工事の経緯等

(一) 広島県三次市周辺の江の川水系における河川改修事業は、昭和二五年以降、広島県が中小河川改修事業としてこれを行つたが、昭和二八年度からは、建設大臣の直轄事業として国が実施することとなり、同県高田郡八千代町下土師から三次市に至る間(吉田町を含む)の江の川本川及び三次市周辺の支川である馬洗川、西城川の河川改修事業を行つてきた。右事業では、改修計画の基礎となる高水流量を、基準点三次市尾関山において毎秒五八〇〇立方メートルと定めて、堤防の新設・拡築、河道の掘削等を施工したが、吉田町地区においては、昭和三三年に築堤工事に着手し、昭和三八年中にこれを完了した。本件開口部は、右築堤にあたり、後記の理由から、貴船川が江の川に流入する地点を開放して堤防を不連続とする工法をとつたものである。

(二) ところが、昭和三三年六月、同四〇年六月及び七月と相次いで江の川の洪水による災害が発生したため、国は江の川水系全体の基本高水流量(河川改修工事計画の規模を定める基本となる流量であつて、過去の雨量・水位等の資料を解析して決定されるもの)につき再検討を加えることとし、昭和元年以降四〇年間の雨量統計資料を基礎に、流域の規模や開発状況等を考慮して、基準点尾関山における基本高水流量を毎秒七六〇〇立方メートルと定めた。これは、グンベル法によると年超過確率八〇分の一(八〇年に一回起る確率)の流量であり、全国的な河川改修工事の計画規模と比較しても均衡のとれた妥当なものである。そして、さきに定められた高水流量からの増加分(毎秒一八〇〇立方メートル)については、上流に土師ダム等のダム群を建設してこれに調節せしめることとし、計画高水流量(基本高水流量をダム等で調節した後の、河道各地点における最大流量)は当初と同じ五八〇〇立方メートル(基準点尾関山)と定め、右ダム群の建設に着手した。右計画(江の川水系工事実施基本計画)による流量配分は、別紙図面(二)のとおりであつて、吉田地点(河口から一七〇キロメートル)における計画高水流量は毎秒九〇〇立方メートル、計画高水位(改修完了時の川の形すなわち計画横断形に、計画高水流量が流れたときに達する最高水位)は標高二〇三・二八メートル(水位四・六六メートル)、本件開口部(河口から一六五・七キロメートル)における計画高水位は標高一九七・八〇メートルと定められている。

2  本件開口部を設けた理由

(一) 多治比川の洪水に対する考慮

前記のとおり、内堀地区は江の川とこれに流入する一級河川多治比川に囲まれた位置にあるが、多治比川の改修工事は、広島県が昭和三五年度に着手し、同四八年度に完成したものであつて、本件洪水当時(昭和四七年七月)には、その左岸堤防は改修工事途中の段階にあつた。したがつて、増水によつて、堤防上方からの溢水または堤防の決壊(破堤)を生ずることが予測され、その場合、河水は本件開口部の方向に流れ込み、内堀地区の水位が急上昇することとなるが、その際本件開口部を閉じていると、その水を排除することができず、内堀地区を含む吉田町にもたらす床上浸水などの被害を増大させるおそれが多分にあつた。そのため、本件開口部を開放しておくことを必要としたものである。現に、本件浸水時においても、多治比川の改修中の堤防上端に設けたパラペツトの角落しの部分から、相当量の溢水があり、浸水の一原因となつたとみられる。

(二) 貴船川の内水排除能力の維持

貴船川は、内堀地区を含むその流域の降雨による内水や、多治比川から取水された灌漑用水を江の川に排水する機能を有するから、その下流端を閉鎖するとすれば樋門構造とする必要があるが、当時貴船川の幅員は底部二・三メートル、上部三・三メートル程度であつて流下能力が十分でなかつたため、本件開口部を樋門で閉鎖した場合、計算上、貴船川流域に八六ミリメートルの降雨があれば江の川の計画高水位の高さまで湛水することとなる。しかも、江の川の水位が下がつた後でも、湛水した水は容易に引かず、被害の増大することが予測された。

(三) 被害の比較衡量

江の川の計画高水位程度の洪水が本件開口部から内堀地区に流入するとしても、流速を伴わず静かに湛水するだけであり、しかも、昭和四七年当時、同地区一帯は大半が田畑であつたから、それによる被害は田畑が冠水し、或いは一部僅かの家屋が床下浸水する程度で、さほど大きな被害は予測されなかつた(なお、本件ボーリング場も、その地盤の高さからみて、計画高水位程度の出水では浸水しないことが明らかである)。

一方、本件開口部を閉鎖することの危険性は前記のとおりであり、両者を比較衡量して、被害の少ない方法をとつたものである。

(四) 予算上の制約と工事の緊急優先順位

江の川の改修工事は、江の川水系工事実施基本計画に基づき実施されているが、予算上の制約により、直ちに全川にわたつて十分に安全な施設を設けることは不可能であるから、未改修箇所のうち、洪水の際堤内地に直接洪水が流入する危険のある地形で、特に人家・工場等の建物が多く存在する地域の上流から優先的に改修工事を行つてきた。これは、いわゆる「あたま水を抑える」工法であつて、施工順序として最も合理的かつ効果的なものである。したがつて、本件開口部のような、閉鎖した場合に樋門等の構造物を必要とする下流端は、予算上の制約と経済的効果がほとんどないことを勘案して、当然に未だ閉め切る段階に至らないと判断されたものであり、現にこのような開口部及び無堤部は、三次市上流部のみでもなお一八箇所存在する。

前述のとおり、内堀地区一帯は計画高水位までの洪水では家屋等の工作物が浸水することはほとんどないのであり、本件開口部を樋門等を設置して閉め切ることよりも、堤防が未完成のため洪水が直接流入する箇所、或いは計画高水位までの洪水により家屋等が浸水する箇所を洪水から守るため、予算を優先的に配分し、このような緊急度の高いところから安全性を高めて行くのが河川改修の原則であつて、本件開口部を閉め切るべきであつたとする原告らの主張は、河川改修に関する国家予算支出の計画性、効率性を無視した誤つた主張といわなければならない。

3  樋門及び排水ポンプの設置が無益であること

(一) 仮に本件開口部に樋門を設置した場合、内堀地区の内水が容易に湛水するおそれがあることは前述のとおりであるが、さらに排水ポンプを設置したとしても、その位置や機能は河川管理施設等構造令に基づき、当該地点の計画高水位を設計基準として決定されるところ、本件洪水は後述のとおり、計画高水位を一・四メートルも上回るものであつたから、そのエンジン自体が浸水して作動しなくなる可能性が大きく、仮に作動したとしても排水の機能を果し得ず、内水の完全排除は不可能である。したがつて、本件ボーリング場は結局浸水を免れなかつたと考えられる。

(二) さらに、仮に排水ポンプが十分に機能し、内堀地区内の水を全量江の川に排水し得たと仮定した場合、江の川の水位が本件洪水時のように堤防の天端近くまで達すると、その水圧と堤防への浸透水が一方的に堤内(内堀地区)方向に作用し、その結果、堤防自体が水圧と浸透水に耐えられなくなつて崩壊した可能性が十分に考えられ、被害はさらに甚大なものとなつたと推測される。

4  昭和四七年七月豪雨の異常性

(一) 江の川流域の降雨は、昭和四七年七月九日から同月一四日まで続いたが、吉田雨量観測所における右六日間の降雨量は合計四四九・四ミリメートルであり、同月一〇日、一一日の二日間降雨量二八七・四ミリメートル及び同月九日ないし一一日の三日間降雨量三三七・〇ミリメートルは、いずれも既往最大値を示した。また、工事実施基本計画の基礎資料となつた、昭和元年以降四〇年間の江の川粟屋地点から上流域の降雨について二日間降雨量をみると、昭和一六年六月二五、二六日の二日間の二〇九ミリメートルが既往最大値であるのに対し、昭和四七年七月一〇日、一一日のそれは三二九ミリメートルに達し、右は基本計画による年超過確率八〇分の一を遙かに越え、五〇〇分の一すなわち五〇〇年に一回の確率で生じ得る降雨量であつた。

(二) このような豪雨のため、江の川の水位は、吉田水位観測所における計画高水位が四・六六メートル、既往の最高水位が五・四六メートル(昭和三三年七月)であるのに、七月一二日午前三時三〇分には、計画高水位を約一・二メートルも上回る五・八〇メートルに達した。また、同観測所における最大流量は毎秒一五三〇立方メートルを記録したが、右は計画高水流量毎秒九〇〇立方メートル(別紙図面(二))の一・七倍に相当する異常な流量であつた。

なお、本件開口部における計画高水位は標高一九七・八〇メートルであるが、本件洪水時の水位はこれを一・四〇メートル上回る一九九・二〇メートルを記録し、計画高水位に余裕高を加えて施工されている堤防の天端にほとんど達するまでになり、溢水寸前の状態となつた。

(三) 江の川流域の災害状況をみると、高田郡甲田町では浸水面積三四〇ヘクタール、浸水家屋二三〇戸、吉田町では浸水面積三〇〇ヘクタール、床上浸水一二〇戸余、床下浸水三七〇戸余(そのうち内堀地区は床上浸水三八戸)、三次市では二箇所が破堤し、全壊数十戸、半壊一五〇〇ないし一六〇〇戸、床上浸水一八〇〇戸位、床下浸水一四〇〇ないし一五〇〇戸の大被害を生じ、その下流の作木村、川本町等においても大規模な浸水被害があり、江の川流域における浸水家屋は総数一万四〇〇〇戸以上に及んだ。

(四) 右のように、昭和四七年七月豪雨は、過去に例をみない異常な豪雨であつて、計画高水流量、計画高水位の数値を遙かに上回る未曽有の大出水をもたらしたものであり、本件ボーリング場の浸水は、不可抗力による災害もしくは天災というほかはない。

四  被告の主張に対する原告の反論

1  被告の主張全般について

被告は、本件開口部において堤防を不連続のまま放置していたこと、樋門及び排水ポンプを設置しなかつたことの理由として種々主張するが、右はすべて本件訴訟に対処するため改めて考え出したものに過ぎない。建設省三次工事事務所長は、本件浸水の直後、報道機関に対し、「内堀地区は大水のときは地区全体が遊水池的役割をすることになり、ほかにもそういうところはある。」と発言したが、本件浸水前の被告の認識は、その域を出なかつたのが真相とみられる。本件開口部は、単に工事予算の関係から放置されていたに過ぎない。

2  被告の主張1及び4について

被告は、計画高水流量や計画高水位の数値と本件洪水時の流量・水位等を比較して、本件洪水(及びその原因となつた降雨)が異常なものであつたことを強調する。しかしながら、現実に江の川及び多治比川の水位がその各堤防を超えることはなく、破堤することもなかつたのであつて、本件浸水は右溢水、破堤等を原因とするものではない。したがつて、被告主張の計画高水位流量、計画高水位等がいかに定められたか、その数値が妥当なものであつたか否かは、本件浸水とは本来無関係の事柄であつて、本件開口部を設けていたこと、樋門・排水ポンプを設置していなかつたことが河川管理上の瑕疵にあたるか否かが端的に問題とさるべきであり、かつ、それをもつて足りる。

もともと、江の川の計画高水流量は、将来土師ダム等のダム群によつて流量の調節(カツト)が行われることを前提に定められたものであるところ、本件浸水当時、未だ右ダム群は完成していなかつたのであるから、その調節予定流量(毎秒一八〇〇立方メートル)が安全に流下するよう、何らかの治水施設が設けられなければならない。本件浸水は、江の川に右調節予定の流量が加わつて流下したため、流下速度が著しく低下し、貴船川からの排水に対する障壁の作用をなし、逆流現象を生じたものと考えられるが、ダム群完成前には、このような現象は十分に予測し得たのであるから、樋門・排水ポンプの設置の必要性は極めて大きいものがあつたと言うべきである。

3  同2(一)について

被告は、改修途上の多治比川の溢水または破堤が予測されたと主張するが、既に述べたとおり、その事実はなかつたのであり、しかも、被告のいう「五〇〇年に一回」の降雨によつてさえ溢水・破堤は生じなかつたのであるから、被告の予測は誤りであつて、右主張は前提を欠くものである。

4  同2(二)について

被告は、貴船川の内水排除について、樋門の設置が障害となるように主張するが、その根拠とする、「八六ミリメートルの降雨があれば江の川の計画高水位まで達する」との点は、被告の独断ないしは机上の計算によるものであつて信用できない。また、その降雨による内水を、樋門のない状態で江の川に排水するとしても、その際江の川の水位如何によつては、その水流自体が右排水に対する障壁となつて、十分な排水ができないことも考えられ(現にかかる現象を生じたとみられる)、右を否定するような主張立証はない。さらに、樋門・排水ポンプを設けたため、排水能力が落ちて湛水することによる被害と、これらを設けず江の川の逆流を許すことによる被害とのいずれが大きいかについても、比較検討を経たとはみられない。

したがつて、被告の右主張は根拠を欠き失当である。

5  同2(三)について

被告は、内堀地区がほとんど田畑であつたため、江の川の水が本件開口部から流入してもそれほど大きな被害は予測されなかつたと主張するが、同地区はこれまでもしばしば江の川の逆流による浸水に見舞われてきた災害多発地域であり、右のような理由で樋門・排水ポンプを設けず放置していた河川管理者の姿勢こそが徹底的に批判さるべきである。また、同地区は近年宅地開発によつて急速に宅地化されつつあり、その点においても右主張は理由がない。

6  同2(四)について

被告は予算上の制約を主張するけれども、原告らはもともと、被告が堤防の築造に際し敢て本件開口部において堤防を不連続のまま開放していたことが管理の瑕疵にあたると主張しているのであるから、財政的理由は本件と関係がない。これを閉鎖するために樋門・排水ポンプの設置が必要であり、それが財政上困難というのであれば、現実にその設置にどれだけの費用と時間を要するか、被告の治水事業計画全体に照らしてそれがいかに困難であるかを具体的に明らかにすべきであるが、その立証はない。

7  同3について

被告は、排水ポンプを設置しても本件浸水時に機能しなかつたであろうと主張するが、その説明の基礎とする計画高水位自体が、土師ダム等の完成を前提としたものであつて、未完成の時点では根拠となり得ないことは前述のとおりであるし、排水ポンプの排水能力の限度や、現実にどれだけの排水能力低下を来すかなどの点につき、具体的な立証がないことも、既に指摘したとおりである。

また、堤内地(内堀地区)から完全に排水することによつて、水圧や浸透水による破堤のおそれがあつたと主張するが、その論理からすれば、開口部のない連続堤の地区においては随所に破堤を生ずるはずであるのに、その事実はなく、右主張には矛盾がある。

第三証拠関係 <略>

理由

一  争いのない事実

広島県高田郡吉田町字内堀(内堀地区)の国道五四号線に沿つて別紙物件目録記載の建物(本件ボーリング場)が存在し、その付近に一級河川江の川が存在すること、被告が右江の川の管理者であること、本件ボーリング場の北方に、江の川の左岸堤防が一部不連続となり開放されている部分(本件開口部)があること、昭和四七年七月一一日の降雨の際、本件ボーリング場が浸水したことは、当事者間に争いがない。

二  本件ボーリング場の権利関係

<証拠略>によれば、本件ボーリング場は、原告広宣社が昭和四六年一二月に建築確認を得て建築に着手し、翌四七年四月二八日に完成したものであつて同原告の所有であること、原告吉田観光開発は、右同日頃原告広宣社からこれを賃借し、以来、「吉田ガーデンボール」なる名称でボーリング場を経営してきたことが認められる。

三  江の川及び内堀地区の概要

<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。

1  江の川水系はその源を広島県山県郡大朝町に発し、東南流して同県高田郡吉田町に至り、多治比川を合わせ、東北流して三次市において馬洗川、西城川を合わせ、北西流に転じて島根県に入り、邑智町において大きく屈曲して西流し、江津市において日本海に注ぐ中国地方最大の河川であつて、流域面積は三八七〇平方キロメートル、幹川延長は一九四キロメートルに及ぶ。

2  内堀地区及びその周辺一帯の位置関係の概略は別紙図面(一)のとおりであつて、同地区は吉田町の中心部である吉田地区とともに、江の川とその左岸支川である一級河川多治比川及び背後の山によつて囲まれ、山寄りに国道五四号線が通じている。本件浸水当時、内堀地区には本件ボーリング場とこれに近接する二、三の人家、国道五四号線より山側(山裾)に国道に沿つて並ぶ若干の人家があり、本件ボーリング場より江の川上流側三〇〇メートル位の位置に相当戸数の集落があるほか、地区内はすべて田畑であつた。地区内には吉田町が管理する普通河川貴船川(地元住民の間では、大きな溝程度に認識されていた)が流れ、吉田地区で多治比川から取水された水や背後の山から流れ出た水(いずれも灌漑用水等として使用されたもの)は、多くの小水路を経て内堀地区に流下し、貴船川に集まつて本件開口部から江の川に排出されている。

本件開口部は、貴船川の右排出口(下流端)において、江の川の堤防を開放し、不連続としたものであつて、縦断面は逆台形をなし、その開口の幅員(下方)は、貴船川の川幅三メートル余にほぼ等しいものであつた。

3  内堀地区は、右のように大部分が江の川沿いの低地にあるが、これを後述の江の川水系工事実施基本計画に定める計画高水位と比較すると、右計画高水位が本件開口部において標高一九七・八〇メートルであるのに対し、例えば本件ボーリング場の地盤高は一九八・二〇メートル(国道五四号線の高さとほぼ同じ)であり、本件ボーリング場や右国道、山裾の人家、集落等は計画高水位までの出水では浸水しない高さにある。一方、同地区の大半を占める田畑は右計画高水位より低く、右程度の出水により全部が浸水を免れない状態であつた。

4  なお、本件浸水の当時から、内堀地区の江の川沿い(貴船川と江の川の間)に、広島県が工業団地の敷地を造成する計画が進められ、その後埋立て工事が施されて、遅くとも昭和五三年一〇月頃にはその相当部分が完成し、工場建物が多数立ち並ぶに至つた。また、このことと関連して、貴船川もその後一級河川の指定を受け、広島県によつて川幅の拡張、護岸等の工事が行われている。

四  本件浸水の原因

1  昭和四七年七月豪雨

<証拠略>を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  昭和四七年七月九日から一六日にかけて、中国地方一帯に大量の降雨(後に昭和四七年七月豪雨と名付けられた)があり、各地に甚大な被害をもたらしたが、江の川流域にも大雨が降り、吉田町所在の吉田雨量観測所では、同月九日四九ミリメートル、一〇日一四七・一ミリメートル、一一日一四〇・三ミリメートル、一二日四六・二ミリメートルの雨量を記録した。右一〇日・一一日の二日間雨量二八七・四ミリメートルは、二日間雨量として過去三〇年間の最大値二〇八・九ミリメートル(昭和一八年九月一九・二〇日)を大きく上回るものであつた。また、江の川の粟屋地点上流流域(同地点は、江の川とその支川西城川、馬洗川が三次市において合流する地点にあたり、その上流域の雨量は、江の川水系工事実施基本計画の基礎資料とされている)における最大二日間雨量についてみると、昭和元年以降四〇年間の既往最大雨量は昭和一六年六月二五・二六日の二〇八・九ミリメートルであるが、昭和四七年七月一〇・一一日のそれは三二八・六ミリメートルであつて、右は確率的には五〇〇年に一回生じ得る程度のものであつた。

(二)  このような激しい降雨のもとで、内堀地区の田畑は同月一〇日中にほぼ全域が冠水し、本件ボーリング場も同日には地下室の天井まで浸水し、駐車場にも深さ五センチメートル位に水が溜つた(この時点の浸水は、専ら雨水によるものとみられる)。翌一一日夜から一二日早朝にかけて浸水位は最高に達し、本件ボーリング場のレーン全体が一メートル位浮き上り、駐車場や国道五四号線上は腰までつかる状態となり、近接の訴外玉野方にも床上約一メートルの浸水があつた。後日の洪水痕跡調査によれば、本件開口部の痕跡水位は標高一九九・二〇メートル(計画高水位一九七・八〇メートルより一・四〇メートル高い)に及んでいる。(以下、この状態を内堀地区の湛水という)。

(三)  本件開口部から一・七五キロメートル上流の吉田水位観測所における江の川の水位をみると、七月一一日午前中に計画高水位を約二〇センチメートル突破し、一旦は下降したものの、同日夕刻からまたも降雨が始まり、翌一二日午前零時頃計画高水位を再度突破し、同日午前三時過ぎにはこれを約一・二メートル超える高さとなり、堤防高すれすれに達した。しかし、同所付近の堤防は、河川管理施設等構造令に基づき、計画高水位に一・二メートルの余裕高を加えて築造され、かつ、その沈下に備えて数十センチメートルの「余盛」が施されているため、辛うじて堤防からの溢水を免れた。なお、同観測所における最高流量は毎秒一五三〇立方メートルを記録したが、これは前記江の川水系工事実施基本計画において予定された同地点の計画高水流量毎秒九〇〇立方メートルの約一・七倍に及ぶものであつた。

(四)  昭和四七年七月豪雨による江の川水系の被害状況(広島県関係)は別表(一)のとおりであり、被害の最も大きい三次市では家屋の全壊四〇戸、半壊一五八四戸、床上浸水一八四〇戸、床下浸水一三六二戸、田畑の流失冠水一一八九ヘクタール、これに次ぐ甲田町では家屋全壊一戸、半壊五五戸、床上浸水二三一戸、床下浸水二〇一戸、田畑の流失冠水三五三・二ヘクタールと報告されている。なお、内堀地区では床上浸水三八戸、田畑の冠水四五ヘクタールであつた。

2  内堀地区の湛水の原因

(一)  上記認定事実に照らし、内堀地区を含む貴船川流域の雨水(内水)が内堀地区に滞溜し、湛水の一原因となつたことはたやすく推認される。一方、江の川堤防からの溢水がなかつたことは前記のとおりであり、同地区上流域における堤防決壊の事実も認められない。

(二)  <証拠略>によれば、七月一一日(時刻は不詳)、江の川の河水が本件開口部から逆流して内堀地区に氾濫し、上流の吉田地区に至つたこと(内水と一体となつたものとみられる)、地元特に吉田地区の一部では、この現象を「静かな洪水」と呼んでいることが認められる。前記認定のような、内堀地区の高さと江の川の最高水位に照らしても、かかる逆流現象の可能性は十分に考えられるところであつて、内堀地区の湛水については、この逆流水が一つの原因をなしたものと認められる。

(三)  被告は、右のほか、当時改修中の多治比川堤防からの溢水が加わつたと主張し、<証拠略>にはこれにそう部分があるけれども、いずれも直接の目撃状況を述べるものではないし、その内容も、堤防上部のコンクリート擁壁に設けた開口部分(角落し)に、角材をはめ込むなどの水防活動をしたその間隙に、多少の水が溢れ出たというものであつて、さほど大量の溢水があつたとは認められないから、内堀地区湛水の原因として多治比川の溢水を加えるのは相当ではない。

(四)  したがつて、右湛水は同地区の内水と本件開口部からの江の川の逆流水が合体して生じたものと認めるべきであるが、両者の量的な割合を明らかにする資料はない。しかし、少くとも右逆流水が湛水の一部をなすものである以上、本件開口部の存在と、右湛水の結果である本件浸水との間には、因果関係が存することを否定できない。

(五)  なお、当事者双方の主張及び<証拠略>には、右湛水の原因として、江の川の水位が上昇したため或いはその流速が低下したため、貴船川からの排水に対し障壁の作用をなすに至つた結果、貴船川の水が本件開口部において反転逆流した(水が回つた)との趣旨の部分がある。もし右が事実であるとすれば、逆流水は専ら貴船川の水であり、本件開口部に樋門を設けて閉鎖していてもいなくても、同様の結果(貴船川の内水のみによる湛水)を生じたことになるから、樋門の不設置と右湛水との間には因果関係がないことに帰するであろう。しかし、右主張ないし証言は、いずれも資料の解析や実験を経たものではなく、推測の域を出ないものとみられ、直ちに同調することはできない。本件開口部からの逆流水は、排出さるべき貴船川の水を一部含んでいたとしても、前記のような水位の高さや湛水の規模に照らし、江の川の河水を主体とするものであつたと推認するのが相当である。

五  内堀地区の過去の洪水被害

1  主要な洪水被害

<証拠略>を総合すると、吉田町のうち吉田地区及び内堀地区において過去に発生した主要な洪水被害は、別表(二)のとおりであることが認められる(右以外にも時々水害に見舞われたことが窺われるけれども、右と同等またはこれを上回る規模の水害発生の事実は証拠上認めるに足りない。)

そのうち、別表(二)1ないし3はいずれも後述の築堤以前のものであるが、既存の堤防の決壊をもたらし、上流から大量の水が流入したものであり、特に3は多治比川が江の川と合流する地点の堤防が約一五〇メートルにわたつて崩壊、流失し、吉田地区の相当範囲や内堀地区の大半が一時湖沼の観を呈するような大水害であつた。

後述の築堤の完了(昭和三八年)以後は、破堤や上流からの氾濫はみられなくなつた。昭和四〇年七月、別表(二)4の洪水が発生し、吉田水位観測所における江の川の計画高水位四・六六メートルに対し、最高水位四・六一メートルに達したが、破堤や上流部の氾濫はなく、本件ボーリング場(当時は未建設)付近に建物の浸水被害を生ずることはなかつた。しかし、雨水のほか、同町内小河川や水路の江の川への排出口(本件開口部を含む)から江の川の河水が逆流したことにより、田畑が冠水し、吉田、内堀地区の浸水面積は約三五ヘクタールに及んだ。

これに続く大規模水害が、本件浸水を生じた昭和四七年七月のそれ(別表(二)5)であつて、同様、本件開口部からの逆流を一原因とするものであつたことは、さきに述べたとおりである。

2  本件開口部からの逆流による浸水被害

(一)  右にみたように、吉田・内堀地区における過去の主要水害のうち、別表(二)1ないし3は上流部の堤防決壊によるものであつて、併せて本件開口部からの逆流現象を生じたか否か、仮に生じたとしてそれに起因する被害がどの程度のものであつたかは不明である。一方、別表(二)4及び5は、本件開口部など小河川下流端からの逆流を一原因とすることが優に認められる。

(二)  原告らは、右以外にもこのような逆流による浸水被害が屡々発生したと主張するので、この点を検討するに、先ず、証人玉野清人は、本件ボーリング場から一〇〇メートル位の距離に居住しているところ、本件浸水(昭和四七年七月)の二、三年前にも、「(本件開口部から)ずうつとぬまつてきて宅地がつかつた」或いは「水害というほどのものではないがぬまつてきた」と述べるのであるが、昭和四四年、五年頃に内堀地区周辺に相当規模の浸水被害があつたことを裏付ける資料は見出し得ず、右証言は昭和四〇年七月の浸水時の状況を述べるものではないかと推測される。

(三)  また、証人三浦範一は、本件開口部からの逆流は昭和四七年までにも度々発生したように述べるけれども、その証言内容を仔細に検討すると、昭和一八年及び二〇年の水害(別表(二)1、2)については定かな記憶がなく、同三三年のそれ(同3)についても、洪水が出たことはあるが堤防決壊のことは覚えがなく、また、昭和四〇年の水害が一番大きいものであつたと述べるなど、記憶に明瞭でないものがあることが窺われる。また、昭和二三年に山側に転居するまでにも、度々本件開口部からの逆流による水害に遭つたように述べるけれども、既述のとおり、同年頃までの水害は堤防の決壊を伴うものであるから、逆流を浸水の主因とするかのような供述は首肯し難い。これらの点から、右証言をそのまま採用するには疑問がある。

(四)  その他、本件開口部からの逆流による顕著な被害事例を認めるに十分な証拠はなく、結局、本件浸水以前の明らかな事例(相当の規模に達したもの)としては、昭和四〇年七月のそれを認め得るに止まる。

六  江の川上流における改修工事

1  堤防の完成

<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。

(一)  江の川上流域(三次市から上流)においては、昭和二五年頃から広島県が中小河川改修事業として改修工事を行つてきたが、昭和二八年、被告が建設大臣の直轄事業として、広島県高田郡八千代町下土師から下流三次市に至る間(吉田町を含む)の改修工事に着手し、堤防の新設・拡築、河道の掘削等を行い、吉田町周辺においては、従来存した堤防(その築造年度は不詳)に補強やかさ上げを施し、昭和三三年から同三八年にかけて一連の築堤工事を完了した。

(二)  右改修工事は、江の川上流部の基準点である三次市尾関山における高水流量を毎秒五八〇〇立方メートルと設定し、これを安全に流下させることを目標として施工されたものであり、後に策定された江の川水系工事実施基本計画においても、その堤防高に変動はなく(この点後述する)、本件浸水の発生した昭和四七年七月当時も、一連の堤防は概ね昭和三八年完成時の状態で存在し供用されていた。

(三)  本件開口部は、右築堤にあたり、堤防の一部を中断し不連続としたものであつて、前記のとおり、貴船川の江の川への排出口(下流端)にあたる。なお、これと類似の開口部(不連続部分)は、三次市とその上流の高田郡甲田町及び吉田町において合計一八箇所、吉田町内のみでも九箇所(いずれも本件開口部を含む)存在し、これらの多くは、小河川ないし排水路が江の川に流入する下流端にあたつている。

2  本件開口部が設けられた理由

(一)  <証拠略>を総合すると、築堤にあたり本件開口部を設けた理由は、以下の諸点に要約し得るものと認められる。すなわち、(1)吉田町一帯の降雨による内水や、多治比川及び背後の山地から取水される灌漑用水の大半が貴船川によつて江の川に排出されるため、その排水を十分に確保する必要があつたこと、(2)加えて、多治比川左岸の改修工事が未了であつた(右工事は昭和三四年頃に着手され、同四八年に全部完成した)ため、その氾濫のおそれが大きく、その場合、吉田地区、内堀地区一帯が浸水することが明らかであり、貴船川による排水の必要が一層大であつたこと、(3)一方、本件開口部に最も近い内堀地区は大半が田畑であつて、人家は僅少であり、仮に本件開口部から江の川の河川が逆流するとしても、田畑が冠水し、或いは僅かの家屋が床下浸水する程度で、大きな被害は生じないと考えられたこと、以上の三点である。そして、このような考慮・判断は、昭和四七年七月の本件浸水当時も基本的に変りはなかつたと認められる。

なお、原告らは、上記理由は被告が本件の応訴のため考え出したものに過ぎないとし、本件浸水直後の三次工事事務所長の発言(成立に争いのない甲三号証)を引用するのであるが、前掲各証言によれば、本訴における被告主張の細部まではともかく、右に要約した諸点は築堤当時から認識、考慮されていたことが認められ、甲三号証記載の発言は右(3)の点が特に強調されて報道されたものとも解されるから、右認定を左右するに足りない。

(二)  ここで、本件開口部がいわゆる霞堤またはこれに準ずるものであるとの原告らの主張についてみるに、霞堤とは、下流測堤防の上流端を上流側堤防の下流端と延長的に重複させ、大きな出水時に下流からの逆流を導き、堤内地に氾濫させて洪水調節の作用を営ませることを目的とするものである(<証拠略>)ところ、本件開口部は貴船川の下流端そのものであつて、右のような堤防の重複部分はみられないし、その本来の目的も前記のとおり貴船川からの排水にあり、逆流水の貯溜による洪水調節を意図したものとは認められない(なお、別紙図面(二)によれば、本件開口部を含む吉田地点から戸島川との合流地点までの計画高水流量は、一様に毎秒九〇〇立方メートルであつて、遊水作用による流量の低減は予定されていない)から、本件開口部が霞堤にあたるとは認められず、これに準ずるものとも認め難い。

3  江の川水系工事実施基本計画

(一)  <証拠略>によれば、以下の事実が認められる。すなわち、江の川上流域においては前記のような改修工事が行われてきたが、その後の洪水被害(例えば前記昭和四〇年七月発生のもの)の実情に照らして、被告としては改修工事の見直しが必要との判断に立ち、昭和四〇年四月に新河川法が施行され、翌四一年四月に江の川が一級河川に指定されたことを契機として、建設大臣は河川審議会の審議を経たうえ、同年七月、江の川水系工事実施基本計画(以下、基本計画という)を策定した。同計画においては、昭和元年以降四〇年間の雨量統計資料に基づき、基準点三次市尾関山における基本高水のピーク流量を、年超過確率八〇分の一すなわち八〇年に一回の割合で生じ得る流量である毎秒七六〇〇立方メートルと修正した(従来は毎秒五八〇〇立方メートル)が、右の年超過確率は、全国各河川の改修計画において用いられる数値と比較し、均衡のとれたものとみられる。そして、右修正による増加量毎秒一八〇〇立方メートルの処理については、江の川沿岸に平地が少なく河道の拡幅が困難な実情から、上流に土師ダム等のダム群を建設してその洪水調節に受け持たせることを併せ決定し、河道の負担部分すなわち計画高水流量自体は、従前と同じ毎秒五八〇〇立方メートルに据え置くものとして、右ダム群の建設に着手した。

右基本計画に定める、主要各地点における計画高水流量は別紙図面(二)のとおりであり、吉田地点では毎秒九〇〇立方メートルである。また、計画高水位すなわち河道に計画高水流量が流れたときに達する最高水位は、同地点において標高二〇三・二八メートル(水位四・六六メートル)、本件開口部において標高一九七・八〇メートルと定められている。

(二)  もつとも、本件浸水当時は、上流ダム群は未完成であつたから、ダムによる流量調節はできず、したがつて、前記よりもかなり高い確率で、基本計画所定の計画高水流量及び計画高水位に達する可能性があり、また、それ以上の流量・水位に達する可能性も相当程度存したことは否定できない(これらの数値を具体的に認定し得る資料はない)。

4  河川改修事業の実情

(一)  一般に、河川改修事業が、長大な河川延長を対象とし、巨額の費用を投じ長期間を費しつつ、かつまた諸般の技術上の問題を克服しつつ営まれる性質のものであることはいうまでもない。いま、<証拠略>によつて全国的な改修事業の実情を概観するに、河川の氾濫区域はわが国全体の面積の約一〇パーセントに過ぎないが、その区域内に昭和四五年現在で全人口の五二パーセント余が住み、資産も集中していること、昭和四六年を目標とする建設省の試算によれば、この氾濫区域を、ある程度の洪水から防護するために、一級河川の主要区間を概成し、その他改修を必要とする河川の約半分の治水対策を実施するものとすれば、今後約四七兆円(昭和四八年度価額による)が必要と推定され、治水対策を完成するにはこれに倍する事業費を必要とすることが窺われる。また<証拠略>(昭和五七年版建設白書)によれば、本件浸水から九年余を経た昭和五六年末においてさえ、治水施設の整備状況は、比較的整備の進んでいる利根川・淀川等の大河川について、戦後最大洪水による再度災害を防止するという当面の整備目標に対して約五八パーセント、中小河川については、時間雨量五〇ミリメートル(平均して五年ないし一〇年に一回生ずると予想される降雨)に対して約一八パーセント(都市部に限れば約三八パーセント)と、未だ低い水準に止まつていることが認められる。

(二)  このような状況下で、江の川上流部(土師ダムから三次市に至る間)における改修の進捗状況をみるに、<証拠略>によれば、本件浸水前一〇年間については、昭和三七年度の八八九五万余円から同四六年度の五億九二五〇万円まで、遂年事業費を増額、投下しつつ、緊急度の高い箇所から改修工事を施行してきたが、計画高水位程度の出水でも家屋が浸水するおそれのある地域がなお多数箇所、広範囲に残存し、本件開口部と類似の堤防開口部ないし無堤部が一八箇所存在することが認められ、また、江の川水系全体としてみれば、昭和四六年末において、築造を要する堤防総延長のうち、進捗率は五〇パーセント程度にすぎなかつたことが認められる。

七  河川管理の瑕疵の存否

上記三ないし六において認定した事実を基礎として、以下、原告の主張(請求原因4(一)ないし(四))の順序にしたがい、被告の河川管理に瑕疵があつたか否かを検討する。

1  本件開口部において堤防を不連続としたこと(請求原因4(一))について

既述のとおり、本件開口部は、貴船川の水(流域の雨水や灌漑用水)が従来から江の川に流入しているその下流端において堤防を不連続としたものであつて、貴船川の排水確保のため必要、かつ合理的な措置であつたとみられる。同部分において堤防を連続させることは、流水を閉塞することと同義であり、排水のためには自然の流路を変更し、排出口を別個に設けるなどの大工事を必要とすることは自明であるが、そのような処置が必要、適切であったと認めるべき資料や状況はない。また、右不連続部分が、貴船川の排水の目的からみて過大または過小であるなど、技術的な欠陥があつたと認めるべき証拠もない。したがつて、堤防を不連続としたことそれ自体が河川管理の瑕疵にあたるとの主張は、到底採用することができない。(むしろ、原告らの主張もその中心は次記2の点にあるものと推察される。)

2  本件開口部に樋門・排水ポンプを設置しなかつたこと(同4(二))について

(一)  本件開口部に、江の川からの逆流を阻止するに足る設備が存在しなかつたことと、本件浸水との間に因果関係を肯認し得ることは既に述べたとおりである。この種の設備としては単純な「水門」が先ず考えられるが、認定した諸事実に照らすと、内堀地区から排水機能を無視することは到底できないから、そのための排水ポンプ(被告の用語によれば、排水設備の総称である排水機場)を必要とすることが明らかである。そして、排水管(樋管)を備えた水門を樋門と称するとすれば、本件開口部においては、まさに樋門及び排水ポンプ(以下、樋門等ということもある)を設置すべきであつたか否か、その設置を欠くことが被告の河川管理上の瑕疵にあたるか否かが問題とさるべきことになる。

(二)  ところで、国家賠償法二条にいう営造物の設置、管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいうとされるが、これを単純に物理的な観点のみでとらえて河川に当てはめることは、河川本来の性質として、その存在自体が常に物理的危険性を包蔵し(すなわち安全性を欠如し)、その危険性を完全に除去することが不可能である以上、甚だ妥当を欠くと言わなければならない。ここでいう安全性とは、河川の有する性質や機能と、河川と直接・間接に係わり、利益をも享受しつつ営まれる社会生活との関連において考察さるべき問題であり、その意味で社会的安全性ともいうべきものと考えられる。このように、安全性について社会的な評価、判断を欠くことができないとすれば、河川管理の瑕疵の存否の判断にあたつても、社会一般人がどの程度まで河川管理施設を期待、要請しているか、もしある種の施設を欠くため何らかの危険が予測される場合、それが社会生活に伴う一般的な危険として受忍すべき範囲を超えるものであるか否か等の吟味、検討が必要となるであろう。また、当該施設が限りある河川改修費用の投入対象として適切、効果的なものか否か、他の多くの必要施設と比較して緊急性の程度はどうかなどの問題も、考慮の外におくことはできないと思われる。

(三)  右の観点に立つて検討するに、過去に江の川の逆流による田畑の冠水被害(特に昭和四〇年七月のそれ)を受けた内堀地区関係住民としては、もとより右逆流防止のための適切な措置を期待していたと推認される。しかし、既に述べたとおり、昭和四七年七月以前に同様の被害が屡々繰り返し発生していたとまでは認められないし、同年七月の水害も、家屋の浸水被害を生ずるには至らなかつたものである。家屋に限つて言えば、内堀地区内家屋の大半(本件ボーリング場を含む)は、少なくとも基本計画に定める計画高水位(すなわち上流ダム群完成の後においては、八〇年に一回程度生じ得る大洪水の際の水位)よりも高い位置にあり、右以下の洪水では浸水の危険はなかつたということができる。

一方、本件浸水の当時、右程度の洪水で浸水のおそれのある地域は広範囲に存在していたし、江の川水系全体としては、築堤の進捗率は五〇パーセントに過ぎず、多数の民家等が上流からの破壊力を伴う洪水の危険に直接さらされている地域もなお多く存在した。その上流部についてみても、三次市や甲田町等には緊急の改修を要する危険地域が随所にあり、現に昭和四七年七月豪雨によつて、これらの地域では多数家屋の全半壊や床上浸水を含む甚大な被害を生じたものである。

また、本件開口部は、それ自体、江の川沿岸における特殊、例外的なものではなく、これと類似の開口部(多くは小河川等の流末)が上流部に一八箇所も存在するのであるから、これらを通じて逆流防止のため樋門等を設置することが望ましいと言い得るとしても、そのうち特に本件開口部を緊急、優先的な対象とするだけの強い必要性があつたとは認め難い。この点、本件浸水時に先立ち、吉田町長から所轄三次工事事務所に対し、樋門等の設置方の陳情がなされたことは争いのない事実であるが、右は昭和四九年頃完成見込みの工業団地造成を予定したものであり、当時その造成工事は未だ着工されていなかつたのであるから、時日を争うほどに切迫した問題であつたとはみられない。もつとも、本件浸水に先立つ昭和四七年四月には本件ボーリング場が完成し、田園地帯である同地区に変化をもたらしたことは否定できず、原告らの主張の趣旨を推しはかると、少くともこれによつて樋門及び排水ポンプ設置の必要性が増大したと主張するもののようにも解されるけれども仮にそのように考えるとしても、右完成から本件浸水時までは僅々三か月に過ぎず、被告が樋門等の設置を具体的に改修計画に盛り込み、設計や予算配付等の手続を経て工事に着手、完成するまでにはなお相当の期間を要したとみられるから、本件浸水時までにそれが完成し存在していることを期待するのは困難であつたといわなければならない。

かえつて、本件開口部は、多治比川からの溢水があつた場合その排水の機能をも有しており、結果的にはほとんど溢水がなかつたものの、当時その改修工事は未完成であつて、完成後に比較して溢水(ひいては内堀地区の湛水)の危険が大きかつたことは否定できないから、その完成をまつて樋門等設置の要否を決定するのが順序であるとの指摘(<証拠略>)は首肯することができる。

なお、<証拠略>によれば、現在では中国地方建設局の関係部課においても、本件開口部への樋門等設置の必要性を認めて検討中である(未だ着手には至つていない)ことが窺われるが、これは内堀地区に前記の工業団地が既に完成して工場建物が多数存在するに至つたことや、多治比川の改修工事が完了して溢水の危険がほとんどなくなつたこと等を踏まえてのこととみられ、状況を著しく異にしていた本件浸水時と同一に論ずることは相当でない。

(四)  以上に摘記した諸点を総合考慮するとき、本件浸水に先立つ時期に、本件開口部に樋門及び排水ポンプを設置しておくことが、社会一般(特に江の川流域のそれ)の要請であつたとまでは認め難く、他の多数の危険箇所や同種開口部に優先してこれを設置すべき緊急の必要性があつたとも認められない。また、原告らは、本件ボーリング場を建設経営しようとする企業であり、内堀地区の一般住民(または同地区に居住しようとする者)に比較して、地勢等の調査能力に優り、安全確保のための資金力も豊富であつたと推認されるところ、自らその所在地を選定し、適当と判断する敷地造成などを経て本件ボーリング場を建設し借用してきたものであるから、当該地方において既住最大の、異常ともいうべき豪雨の結果生じた損害につき、これを原告らの受認すべき範囲内にあるとしても、社会通念に反するところはないと考えられる。

結局、被告が本件開口部に樋門及び排水ポンプを設置しなかつたことから、開口部付近の堤防が通常有すべき安全性を欠いていたと結論するには足りず、この点で被告に河川管理上の瑕疵があつたとの主張は採用できない。

(五)  なお、右の判断に関して、原告らの指摘する若干の点につき付言するに、先ず、本件開口部対岸の柳原地区に樋門及び排水ポンプの設備があり、これによつて浸水被害を免れたとの点については、<証拠略>によると、同地区に備付けのポンプは江の川から灌漑用水を汲み上げるための揚水ポンプであつて排水目的のものではなく、また、排水樋門は存在するが、右は田に灌漑した水を排出するため地元農業団体が設置したものと認められるから、上来検討してきた樋門・排水ポンプとは性質を異にし、本件開口部における設置の必要性を強化する事情とはみなし難い。なお、<証拠略>によれば、柳原地区にも浸水の被害があつたことが認められる。

次に、基本計画に定める計画高水流量、計画高水位が、土師ダム等の建設を前提としたものであり、本件浸水当時はこれが未完成であつたから、右を上回る流量、水位に達する可能性が基本計画の見込みよりも大きかつたことは、原告らの指摘するとおりである。しかし、この点は本件開口部だけではなく、江の川本流全域を通じて言い得ることであるから、特に本件開口部に樋門等を設置する緊急の必要性を増大するものではない(ここでも、前記(四)で総括したとおりを繰返さざるを得ない)。

また、原告らは、被告が樋門及び排水ポンプの設置に要する現実の費用と時間を明らかにせず、単に財政上困難というのは失当である旨主張するところ、なるほどその具体的金額等を知る資料は本件証拠中にないけれども、<証拠略>によれば、これらの施設は相当大規模なものであつて、改修事業費の配分、工事の合理的順序の決定に関し決して軽視できない程度のものであることが容易に推認される。

最後に、樋門及び排水ポンプを設置しても本件浸水の場合無益であつたとの被告の主張(事実三3)については、証拠上或いは経験則上、果してそのように認め得るか、当裁判所としても若干の疑問を抱くところである。しかし、その他の主張立証によつて、これらの不設置が河川管理上の瑕疵にあたらないと判断されること前述のとおりであるから、右の点につき立ち入つて判断する必要をみない。

3  遊水池を設けなかつたこと(請求原因4(三))について

遊水池(法令上は遊水地、以下これに従う)とは、洪水時に流水の一部を一時貯留して下流における流量を減少させるため、堤外に準備された土地であり、河川法六条一項三号、一六条一項及び同法施行令一条二項によれば、河川管理者が工事実施基本計画においてこれを定めて公示すべきものとされている。しかし、本件開口部がいわゆる霞堤ではなく、内堀地区内への江の川の導流、貯留が改修計画上意図されていないことは既に述べたとおりであるから、遊水地を設ける根拠も必要も見出し得ない。仮に流水貯留による洪水調節の目的を離れて、事実上湛水しやすい地域において浸水被害軽減のため、遊水地類似の施設を設けるべき場合があるとしても、さきに認定した内堀地区の土地利用状況、江の川改修工事全般の進捗状況等に照らして、本件浸水当時これを設けていなかつたことが管理の瑕疵にあたるとは認め難い。

4  浸水の危険について警告・注意を与えなかつたこと(請求原因4(四))について

(一)  原告らは、先ず、内堀地区が溢水予定地域であるからその旨及びその範囲を同地区住民や同地区に家屋等を建築しようとする者に対し一般的に公示すべきであつたと主張するところ、右にいう溢水予定地域とは、前項で述べた遊水地を意味するとも解せられるが、そうだとすれば、内堀地区がこれにあたらないことは右に述べたとおりである。或いはその主張は、内堀地区が湛水しやすいことを広く一般に予知させるべきであつたとの趣旨とも解せられるけれども、過去の洪水(湛水)事例は内堀地区住民にはよく知られているとみられるし、新たに家屋等を建築する者にとつても、その地勢等と見分し、住民に聞き合わせるなどして、比較的容易に知り得る事柄であるから、河川管理者が進んでその旨を公示する義務を負うとは解し難い、また、内堀地区は全体的に低地であつて湛水しやすいとはいえ、本件ボーリング場敷地やこれと接する国道五四号線等は、基本計画に定める計画高水位以下の出水では浸水しない高さにあつたのであり、このような地帯までを湛水しやすい地域として公示することが必要であつたとは到底認めることができない。したがつて、内堀地区、特に本件ボーリング場付近について、原告ら主張のような公示を欠いたことに、河川管理上の瑕疵はない。

(二)  次に、原告らは、本件ボーリング場建設についての建築確認の際に、被告は広島県をして敷地付近が溢水の危険のあることを警告、注意すべきであつたと主張する。右は、河川管理の瑕疵すなわち河川が通常有すべき安全性を欠く旨の主張とはみられないが、国家賠償法一条に基づく請求の趣意とも解されるので検討するに、関係法規に照らしても、河川管理者にそのような義務を課する根拠は見出し得ず、また、本件の具体的場合に即して考えても、原告らは内堀地区の地勢や過去の洪水状況などを知り、または容易に知り得べき立場にあつたのであるから、本件ボーリング場建設にあたり、自らその地盤を安全な高さに確保するなどの措置を講ずべきものであり、河川管理者がこれに加えて、当該地域は計画高水位を超える洪水の場合浸水する旨を警告するなどの義務があるとは到底解し得ないところである。

八  結語

以上の次第で、原告らの本訴請求は、その余の主張につき判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田川雄三 山森茂生 三好幹夫)

物件目録

広島県高田郡吉田町大字吉田字内堀二、一五四番地、二、一一三番地、二、一一四番地、二、二一二番地の二、二、一五五番地

家屋番号二、一五四番地

鉄骨造鉄板葺地下一階付二階建ボーリング場 一棟

床面積 一階 一、四〇二・四一平方メートル

二階    八八・三五平方メートル

地下一階   一〇三・三二平方メートル

図面(一) 内堀地区概略図〈省略〉

図面(二) 江の川計画高水流量図〈省略〉

別表 (一)

江の川水系被害統計表(広島県関係)

水系名

江の川

河川名

江の川

都道府県名

広島県

流域区分

広島県計

三次市

甲田町

吉田町

八千代町

千代田町

死者

34

6

負傷者

51

6

行方不明

5

1

全壊

360

40

1

16

半壊

2,620

1,584

55

3

9

流失

床上浸水

4,959

1,840

231

124

10

137

床下浸水

11,031

1,362

201

382

43

359

非住家被害

水田

流失埋没

ha

1,117

249.3

8

5.5

1.8

14.1

冠水

ha

7,363

840

344.8

300.0

42.0

162.0

流失埋没

ha

50.7

冠水

ha

698.5

49

0.4

5.3

49

48.3

調

道路損壊

カ所

4,678

427

20

11

4

49

橋梁流失

カ所

310

30

8

4

1

8

堤防決壊

カ所

7,288

88

98

186

26

219

山(崖)崩れ

カ所

1,744

278

49

29

49

鉄軌道被害

カ所

68

3

1

罹災者概数

16,871

572

罹災世帯数

世帯

7,470

3,464

239

127

10

161

摘要

全壊、流失も含む。半壊、一部破損を含む。

9月13日現在、耕地流失埋没・水田、畑を含む。

別表 (二)

吉田・内堀地区における水害記録表

洪水発生年月(昭和・年・月)

吉田地方の2日間雨量(mm)

粟屋地点上流域平均2日間雨量(mm)

吉田地方の連続総雨量(mm)

最高水位(m)

浸水状況

浸水面積(約・ha)

死者(人)

流失家屋(戸)

床上浸水家屋(戸)

1

18・9

209

不明

230

5.05

破堤あり、土砂含み流速あり

70

0

4

390

2

20・9

200

183.6

246

5.30

70

4

2

400

3

33・7

159

164.4

308

5.46

70

1

崖崩れ

0

285

4

40・7

154

186.0

259

4.61

破堤なし、土砂なく流速なし

35

0

0

0

5

47・7

287

328.6

449

5.80

45

0

0

38

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